要点(約30秒)
- 干支は年の支で、命式の八つの字のうちの一つです。
- どの動物も 60 年のなかに五回現れ、そのたびに違う天干を伴うので、一つの動物は五つの版になります。
- 干支には年の区切りが二つあり、民俗は春節、暦の伝統は立春です。1 月か 2 月上旬に生まれた人は、動物そのものが違っている可能性があります。
- 年の柱は手渡された条件を読みます。その条件をどう使うかは、上の層で決まります。
- 天干は生まれ年の最後の桁だけで決まるので、十行の表があれば足ります。
先に結論から
干支の読みが外れているのは気になりません。半分だけ当たっているほうが気になります。
あなたはもう自分の説明を読んだはずです。いくつかは自分の口から出たような文でした。いくつかは他人の文でした。そして「こういうものはこういうものだ」と片づけて、タブを閉じました。
その半分は、あなたが難しいからでも、誰かが書き間違えたからでもありません。一覧が、あなたの八つの字のうち一つだけを読んだからです。
BaZi では、一枚の命式は八つの字です。四つの天干と四つの地支、年・月・日・時のそれぞれに一対ずつ。あなたの干支は年の支で、八つのうちの一つです。残りの七つは飾りではありません。
ですから「馬の人はじっとしていられない、独立している、黙って去る」と一覧が言うとき、それは一つの字の位置を説明しています。二人の人間が一つの字を共有して、それ以外を何も共有しないことはあります。
どの動物にも五つの版があります。一つではありません。この先の2分は、あなたがどの版なのかを見つける話です。
一覧は間違っていない、変数が一つ足りない
こうした一覧を書く人は、たいてい冷笑的ではありません。鼠は周期の先頭に置かれ、欠乏の状況で「やりくりがうまい」と読まれます。牛は向きを変えるのに時間がかかり、一度変えたら止まらないと読まれます。虎は一回の突進と読まれます。これらの読みは、支の位置、その五行、その季節、そしてこれらの動物と共に暮らした人たちの観察から来ています。
伝統から一覧へ移るあいだに、二つのものが失われます。どちらも構造に関わるものです。
一つは関係です。伝統は動物を単独ではなく、互いの関係のなかで読みます。鼠は真空のなかで賢いのではありません。鼠は、冲する馬の隣で賢いのです。動物を盤から外せば、その読みは成立しません。「クイーンは強い」という言葉が、盤がなければ何も言わなくなるのと同じです。
もう一つは階層です。動物はその年です。その年は気候であり、継承であり、生まれたときに手渡された条件です。気候は一生を形づくります。気候はその一生そのものではありません。
一覧はこの二つを「馬の人はじっとしていられない」という一行に平らにならします。具体的に聞こえます。実際はとても広いのです。
五つの版であって、五つの動物ではない
ここから先は、何かを信じる必要はありません。数を数えるだけで足ります。
中国の六十年の周期は、二つの系列が同時に進みます。十の天干と十二の地支です。二つは一緒に進み、10 と 12 の最小公倍数は 60 なので、60 年経ってはじめてまた重なります。さらに陰と陽は混ざらないので、陽の干は陽の支とだけ、陰の干は陰の支とだけ組になります。つまり可能な 120 通りの組み合わせのうち、成立するのは 60 通りだけです。
結果はこうです。それぞれの動物は 60 年のなかに五回現れ、そのたびに違う天干を伴います。
馬を例にします。多くの人が最初に確かめる動物です。
| 生まれ年 | 干支 | 年の干 | 五行 |
|---|---|---|---|
| 1954, 2014 | 甲午 | 甲 | 木 |
| 1966, 2026 | 丙午 | 丙 | 火 |
| 1978, 2038 | 戊午 | 戊 | 土 |
| 1990, 2050 | 庚午 | 庚 | 金 |
| 2002, 2062 | 壬午 | 壬 | 水 |
午は陽の支なので、陽の干しか乗りません。だから馬は五つで、六つ目はありません。
ここで一つ言っておく必要があります。これはあなたの五行だけでなく、動物そのものを変えることがあるからです。
干支には二つの年の区切りがあります。民俗では春節、旧暦の一月一日で、毎年 1 月 21 日から 2 月 20 日のあいだに動きます。暦の伝統では立春、およそ 2 月 4 日です。この記事は立春を使います。ですから 1 月か 2 月上旬に生まれた人は、動物のほうがずっと違っていた可能性があります。別の馬になるのではなく、別の動物になるのです。
具体的な例を一つ。1990 年 1 月 30 日生まれ。春節で数えれば馬の年、立春で数えれば蛇の年です。どちらの数え方も使われています。ただ、同じことを聞いているわけではありません。
同じ馬でも、二つの生き方
1990 年生まれの人は金の馬です。この人は切ります。会議で決めたことを後から開き直さず、その代償として、残すべきだったものを時々切ってしまいます。始めることは一度も問題ではありませんでした。留まることが問題です。
2002 年生まれの人は水の馬です。まったく別の形です。低いほうへ動き、幅が広く、囲まれることを受け入れません。物はこの人を通り抜け、見たことを報告し、それから二時間いなくなります。
二人を同じ馬の一覧の前に立たせれば、二人ともうなずきます。どの行が本当かと聞けば、違う行に線を引きます。一覧が賢いのではありません。一覧が広いのです。
命式の上では、この違いは二人に会う前に見えます。年の干が一人は金、もう一人は水です。
二人は証拠ではありません。二つの座標の見取り図です。ただ、大事なことを示しています。動物は同じ字です。その上に乗っている気候は同じではありません。
十二の動物、それぞれ一行
一覧だけが欲しかったのなら、ここが圧縮版です。動物ごとに一行、その動物が最もよく読まれる動作です。
- 鼠——入る前に部屋を読む。尋ねる前に代価を計算する。
- 牛——向きを変えるのに時間がかかり、一度変えたら戻らない。
- 虎——先に動き、交渉は後。突進そのものが計画。
- 兎——出口を先に見る。起きなかったほうの衝突を好む。
- 龍——自分が入れば部屋のほうが整うと期待する。
- 蛇——長く見て、それから一つの動作で終わらせる。
- 馬——距離が要る。柵は境界としてより先に侮辱として届く。
- 羊——場の空気を吸い取る。難しいことを言う前に去る。
- 猿——目の前の問題を解く。問題を動かすことで解くこともある。
- 鶏——出来上がったもののなかの誤りを見つけ、口に出す。
- 犬——集団のために線を守り、集団が守らないと本気で傷つく。
- 猪——気前よく与え、記録をつけない。
この十二行はほとんどの人に届きます。広く、広いことは間違いではありません。ただ、あなたがどの版なのかは言っていないだけです。
座標は一つでは足りない、二つで足りる
年の柱は伝統的に、あなたが生まれた家庭、最初の数年の条件、受け継いだ位置として読まれます。あなたが立っている地面を読むのです。
しかし地面は人ではありません。条件をどう使うかは、別のものに懸かっています。
動物一つでは足りないのはそのためです。動物は支です。年の干はその上に乗っている層です。どちらも年の柱のなかにあり、重ねてはじめて一度だけ役に立ちます。
「これは自分に似ている」という感覚がふだんどこから来るかといえば、多くの流派は日の干、つまり日干を指します。八つの字のなかで「あなた」に最も近い字で、この一覧が決して触れない字です。
混同しやすいことを一つ。動物ごとに固定の五行を与える体系があり、それだと馬はいつも火になります。それは別の算法です。生まれ年の干の五行はもう一つの層で、五つの組み合わせのあいだで変わります。その変わる層があるからこそ、一つの動物が五つに分かれます。
2分で自分の版を見つける
この算術が役に立つと信じる必要はありません。試してください。
手順一、自分の動物を確かめます。1 月か 2 月上旬に生まれた人は、まず一年戻します。区切りは立春です。
手順二、生まれ年の最後の桁を見ます。天干はその桁だけで決まるので、表を引く必要はありません。
| 最後の桁 | 天干 | 五行 |
|---|---|---|
| 4 | 甲 | 木 |
| 5 | 乙 | 木 |
| 6 | 丙 | 火 |
| 7 | 丁 | 火 |
| 8 | 戊 | 土 |
| 9 | 己 | 土 |
| 0 | 庚 | 金 |
| 1 | 辛 | 金 |
| 2 | 壬 | 水 |
| 3 | 癸 | 水 |
上の表と照らしてください。1990 は最後が 0 なので庚、金です。2002 は 2 なので壬、水です。どちらも合います。
手順三、第五節に戻って、自分の動物の行を読みます。そのうち何項目を、あなたはもう自分について知っていて、しかも他人に口に出して言ったことがあるかを数えます。もっともらしく聞こえるものではなく、実際に言ったものです。それから自分の組み合わせの説明を読んで、もう一度数えます。二つの数の差が、二層目が付け足すものです。
数が増えたなら、その割り算は一覧にできなかったことをしました。何も変わらないなら、一覧がずっと全部の仕事をしていたということで、それも知る価値があります。
自分で計算しないなら、生年月日を入れれば動物と五行と日干が一緒に出ます。
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